久しぶりの京都帰省で散策
京都駅前から三十三間堂へ
新幹線の京都駅を降り駅前に出ると見慣れた景観が目に入ってきた。駅前のバスターミ
ナルにずらりと並んでいる行き先案内に表示された名は、私にはどれもかれもが幼い頃
からの懐かしい想い出の名所地名である。京都に帰ってきたと感じられるときである。
バスに乗らずに少し歩いてみることにする。バス停前の塩小路通りを東へ向って歩いて
行くと、左側に三十三間堂が見えてくる。
三十三間堂で会いたい人に会う
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三十三間堂には、会いたい顔に会うことが出来ると言われている。確かに中に入ると
1001体の先手観音雑像に目を奪われる。金色に輝く豪華な先手観音像は私には全て同
じお顔に見えてしまうが、話では会いたい人に似たお顔が必ずあるとのことで、よく見
ると違っているようで探すことにより気持ちも落ち着いてくるのかもしれません。
会えると良いですね。
三十三間堂の振袖弓術
三十三間堂とは、本堂の柱の間が三十三有ることから付けられたとのこと。又、三十三間
堂は通し矢と呼ばれる弓術が行われ、新しく成人になられた弓道をたしなむ方が振袖姿で
弓を射る姿は見物です。
五条坂より清水寺へ
三十三間堂をあとにして東大路通り五条坂を清水寺へと向かう。五条坂を過ぎると清水道
へと入りこの坂道を上り清水寺へと出ます。
五条坂・清水道の両サイドにはお土産屋さんなどが並び観光客で賑わうところです。
清水寺へは、八坂の塔から二年坂、産寧坂を通り清水坂から行く道もあります。ココもお土
産屋さんなどが多くウインドウショッピングするだけでも楽しめる所です。
ココで気をつけないといけないのは、二年坂で転ぶと二年以内、産寧坂で転ぶと三年以内に
死すとか命が縮まるとかの伝説があるのでご注意を。
清水寺本堂崖下の音羽の滝で御利益を
清水寺の本堂の東には奥の院がありその崖の下には、音羽の滝があります。三筋に分かれて
流れ落ちる清水を口に含むと、所願成就に御利益がるそうで、ここも列ができていました。
ねねの道を八坂神社・知恩院へ
音羽の滝の清水を戴いたあと清水寺を後に、八坂の塔を見ながらねねの道を
歩いて八坂神社から知恩院へ向いました。
ねねの道とは、こ余生をおくった秀吉の妻ねねにちなんで名付けられた道です。
御影石を敷き詰めた石畳の道で、京都らしい風情が感じられ気持ちが良いです。
八坂神社は祇園祭の神様で、小さいとき母から祇園さん祇園さんと良く聞かされ
ていました。裏には円山公園があり幼い頃ココが私の遊び場でした。
八坂神社から西へ向って大通りが四条大橋・阪急四条河原町駅へと伸びる京都の
繁華街です。祇園や大丸デパートなどもあり買い物には良きところです。
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円山公園の春の桜・秋の紅葉が知られています。この円山公園横に知恩院が
あります。大晦日には、知恩院の除夜の鐘を聞きながら新年を迎えていました。
知恩院の鐘は重さ82tもある大鐘で、除夜の鐘は多くのお坊さんで突いていまし
た。久しぶりに歩いてみると色々と思い出されてきて懐かしいです。
青蓮院横通り平安神宮へ
時間があるので、知恩院から青蓮院横を通り神宮道へ出て平安神宮へと向う。
遠くから大鳥居が見えてきたら平安神宮です。平安神宮は大きな赤い鳥居で有名です。
この平安神宮は、1895年に平安遷都1000周年を記念して創建された神社で、朱色と
緑色が鮮やかな社殿は美しく華やかさがあります。
ここには、しだれ桜、カキツバタ、ショウブ、秋の紅葉と四季折々の景色を楽しめる
所です。ご存じの京都三大祭のひとつの「時代祭」は、平安神宮のお祭りで毎年10月
に開催されます。幼い頃母に連れられていって迷子になった苦い想い出の所です。
昔の宮廷装束をまとった長い行列が、京都御所から平安神宮までを練り歩く様は豪華
絢爛です。
銀閣寺から哲学の道散策
平安神宮から銀閣寺へはさすが疲れも出てきてタクシーを利用でした。
銀閣寺前でタクシーを降り、手前の参道を200mほど歩いていくと総門がある。
総門をくぐり受付で拝観料を払い、「銀閣寺御守護」と書いたお札をもらい総門から
中門へと進み両側が生垣の白砂敷きの道を進みます。
境内に入ると、錦鏡池の前に銀閣(観音殿と言うそうです)がそびえ立っています。
木造二階建てで葺きの屋根の頂上には銅製の鳳凰が陣取っているのがみえる。
銀閣には一度も銀箔が貼られた形跡がないと報道されていましたが、何故銀閣なん
でしょうか。銀閣そのものは、境内の風景と共にどこか風格を漂わせている。
銀閣寺から哲学の道散策
銀閣寺前から南禅寺手前の若王子神社まで続く約2Kmの散歩道が哲学の道です。
京都大学教授の哲学者西田幾太郎先生が思想に耽ってこの道を歩いていたことから
この名になったとか。脇を流れる運河は琵琶湖からの疎水だとは驚きです。
学生時代良く歩いた道で、春の桜、秋の紅葉に冬景色も癒やされました。